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県名の由来

徳島市が元々「渭津(いつ)」と呼ばれていたが、1585年に蜂須賀家政がこの地に築城した際に「徳島」と命名したことから来ている。吉野川河口で川に囲まれた三角州だったことから「島」を使い、縁起の良い「徳」が冠されたと言われている。

阿波国

古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地だったために「粟国(あわのくに)」、南の地域は「長国(ながのくに)」と呼ばれていたが、大化の改新の後に「粟国」に統一された。713年、元明天皇の命により地名を二字で表記するため粟は「阿波」に変更された。

徳島県の合戦

上桜城の戦い

1572年に起こった三好長治軍(十河存保等7,000人)と 篠原長房(1,500人)の戦い。吉野川市川島町桑村にあった上桜城で起こった。篠原長房は奮闘したが、敵陣の中で最期を遂げ、上桜城は落城した。

中富川の戦い

阿波国へ攻略を目指す土佐国の長宗我部元親と、これを阻もうとする勝瑞城を本陣とする十河存保以下の三好氏諸将との間で起きた戦い。攻防戦は約20日間行われた戦いで、人的被害は阿波国史上最高と言われる。後に阿波で流行る「鳥刺し舞」はこの時の戦いによるものだと言われている。この戦いに勝った長宗我部元親に阿波の諸城をほとんど従った。

阿波沖海戦

戊辰戦争の戦闘の一つで、日本史上初の蒸気機関を装備した近代軍艦による海戦。旧幕府軍が勝った戦いであるが、旧幕府軍は以後江戸に撤退したため、近畿の制海権は薩長新政府側に帰した。

古代

徳島に人が住みだしたのは、2万年前と言われています。

中世

12世紀頃、平氏政権下では、阿波民部大夫成良(あわみんぶだゆうしげよし)が勢力をもちました。鎌倉幕府の成立後は、阿波国外の武士である佐々木氏や小笠原氏が守護となり、室町時代には、足利氏の一族である細川氏が阿波国守護になっています。応仁の乱以降、細川氏の支配が弱まり、三好氏が台頭してきます。その三好氏は、近畿に進出して幕府の実権を握ります。しかし、1582年に土佐の長宗我部元親によって敗れ、長宗我部氏が徳島県を制します。

近世

1585年、豊臣秀吉の家臣だった蜂須賀正勝・家政父子が阿波国を与えられて、新しく徳島城を築いて居城にしました。そして、大坂冬の陣で功績をあげた蜂須賀家は淡路国7万石余を加増されて,25万7000石の大名となりました。

近現代

1871年の廃藩置県で「徳島県」が設置。その後、「名東県」に改称します。そして、1873年に香川県を「名東県」に編入します。一時、高知県の管轄となるが、1880年に徳島県が再設置され、現在に至っています。明治時代前半は、江戸時代以来の藍産業が隆盛、この藍産業の活況を背景に、1889年の市町村制施行時に徳島市は全国10位の人口を擁する大都市でした。


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