近江八景・琵琶湖八景
滋賀県のシンボルでもある日本最大の湖・びわ湖は、日本を代表する美しい風景を持つことでも知られています。その中でも特に美しい風景が「琵琶湖八景」や「近江八景」として、評価されています。
琵琶湖八景
日本の琵琶湖周辺に見られる優れた風景から「八景」の様式に則って8つを選んだ風景評価の一つ。1950年に琵琶湖が国定公園に指定されたのを機に、選定された。
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「暁霧」 海津大崎の岩礁
琵琶湖の北端、海津湾の東に波食によって突き出た岩礁地帯。 |
「涼風」 雄松崎の白汀
北比良の山々を背景に、約3キロメートルに渡って白砂青松の眺めが続く。夏はウィンドサーフィンや水泳を楽しむ人々でにぎわう。 |
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「煙雨」 比叡の樹林
比叡山の深い樹林の中に、世界文化遺産の延暦寺などが建ちならび、雨にかすむ静かな雰囲気が感じられる。 |
「夕陽」 瀬田石山の清流
夕日に映える瀬田川の流れには日本三名橋の一つ唐橋がかかり、美しい風景です。 |
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「新雪」 賤ケ岳の大観
賤ケ岳は、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った「賤ケ岳の合戦」でその名を歴史にとどめています。 |
「深緑」 竹生島の沈影
西国三十三所観音霊場の第34番札所である宝厳寺がある「神の島」。 |
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「月明」 彦根の古城
月明かりに浮かび上がる古城は、訪れる人々に歴史の重みを感じさせる。 |
「春色」 安土八幡の水郷
ヨシの群生で囲まれた入り組んだ水路が走る水郷地帯としても知られ、この中で四季折々の自然の景色を楽しみながら水郷めぐりが楽しめます。 |
近江八景
約500年前の室町時代に、中国湖南省にある洞庭湖の八景にちなんで、関白近衛政家が選んだと伝えられています。浮世絵師の安藤広重の風景画により広く知られるようになりました。
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比良の暮雪(ひらのぼせつ)
琵琶湖の西岸に沿って連なる比良山地が雪に覆われ、その美しき高峰が遠方から描かれています。 |
堅田の落雁(かたたのらくがん)
雁が列をなして優雅に舞い降りる、湖に浮かぶ浮御堂が描かれている。正式名称を「海門山満月寺」という浮御堂は、平安後期に湖上の交通安全を祈願した恵心僧都が千体仏を安置したことに始まり、航行の目印とされた。 |
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唐崎の夜雨(からさきのやう)
平安時代より、水辺での身の汚れを祓う、みそぎの地として知られた唐崎は、朝廷の七瀬祓所の一つといわれた。 |
三井の晩鐘(みいのばんしょう)
日本一の響きであると言われた三井寺の鐘。園城寺(おんじょうじ)が正式名称だが一般的に三井寺で知られる。 |
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粟津の晴嵐(あわづのせいらん)
粟津原は木曽義仲討ち死にの地。晴天時に山風がここを吹き渡る光景を粟津の晴嵐といった。 |
矢橋の帰帆(やばせのきはん)
矢橋(やばせ)は滋賀県草津市の集落地名。現在は矢橋帰帆島が建設され当時の趣はない。 |
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瀬田の夕照(せたのせきしょう)
「瀬田の唐橋」を望む風景。日本書紀をはじめ多くの文学作品に登場する橋。「唐橋を制するものは天下を制する」といわれ、交通、軍事の要衝でした。宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされる。 |
石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)
京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ石山寺を望む風景。 |
三井の晩鐘に伝わる民話
竜女の哀しい話
村の子どもらにイジメられる一匹の蛇を助けたことで、 里の漁師は竜宮の王女をめとることになります。 間もなく、二人の間には子どもが産まれますが、 自分が竜女であることを知られた女は、琵琶湖底に呼び戻されてしまいます。
残された子どもは母親を恋しがり、毎日、激しく泣き叫びます。 でも母親にもらった目玉をなめると、不思議と、泣きやむのです。 しかし、その目玉も、やがて小さくなり、ついに竜女の両方の目玉はなめ尽くされてしまいました。
盲(めいし)になった竜女は、漁師に、三井寺の鐘をついて、 二人が達者でいることを知らせてくれるように頼みます。
鐘が湖に響くのを聴いて、竜女は心安らがせたといいます。
湖底の竜宮にまつわる伝承
もともと、竜族が竜宮に秘蔵していた鐘を、 竜王を悩ませる三上山の大ムカデを退治したお礼に、俵藤太秀郷が贈られたものだというのです。
瀬田の唐橋に伝わる民話
俵藤太秀郷の大ムカデ退治
俵藤太こと藤原秀郷は、平安時代中期の武将で、平貞盛と共に平将門の乱を鎮圧したことでも知られる人物。
ある時、俵藤太(藤原秀郷)が瀬田の唐橋を渡ろうとすると、一匹の大蛇が寝そべっていて誰も通れません。しかし勇敢な藤太は気にもせず踏みつけて通ったのでした。
その夜、藤太の前に美しい乙女が現れて、「私は瀬田川に住む龍王の娘です。大蛇に変身していたのは、あなたのような勇敢な人物を探していたのです。実は、三神山に住む大ムカデが琵琶湖を荒らすので、退治して欲しいのです。」と依頼されます。
俵藤太はこれを受け入れ、大ムカデ退治に三上山に向かいます。
この大ムカデ、三上山を七回半も巻くほどの怪物で、藤太の放った弓をはね飛ばしてしまいます。藤太は最後に残った矢の先に唾をつけて、南無八幡大菩薩と仏に祈って矢を放つと、これが見事に大ムカデの眉間に命中し、無事退治することが出来ました。
こうして藤太は、ムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神から盛大な褒美を得たと言われています。
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