近江八幡市

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概要

近江商人発祥の町

滋賀県中部、琵琶湖東岸に位置する市。2010年3月21日、近江商人と水郷で有名な(旧)近江八幡市と安土城で有名な蒲生郡安土町が合併して成立。豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、近世は商業都市として発展した。いわゆる近江商人の発祥の地である。市名に旧国名の「近江」を冠しているのは、市制施行時に福岡県八幡市(やはたし)が存在したためである。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが住み、多くの近代建築作品を遺した地としても知られている。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。英語教師として来日後、1908年京都で建築設計監督事務所を設立し、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。1941年に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗った。「米来留」とは米国より来りて留まるという洒落である。 近江商人発祥地である近江八幡市を拠点に精力的に活動したことから、「青い目の近江商人」と称された。また太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。 名誉市民第一号。

安土城

山ひとつまるごと城にせよ

世界で初めての46mという高さの木造高層建築
織田信長によって築城された安土城は1579年に完成したものの、3年後の1582年に起きた本能寺の変により主を失い、1585年に廃城となった悲運の城。しかし今でも城跡は保存されており、戦国時代の風雲児、織田信長のパワーに引き寄せられるかのように、多くの人々が訪れます。ちなみに他の城は「天守」で安土城だけが「天主」と表記するそうです。大手門口から天主跡までの途中、二の丸跡に信長公御廟と呼ばれる信長のお墓があります。信長はこの天守で生活していたと推測されており、高層建築物を住居とした日本人は、信長が初とも言われている。

水郷巡り

「水郷めぐり」は、織田信長や豊臣秀次が戦国の世の疲れを癒すため、宮中の雅やかな遊びを真似たと言われています。水郷は四季それぞれに趣があり、水鳥たちも多く集い、自然の営みや恵みを感じることの出来る場所です。3月上旬頃に行われる「ヨシ焼き」は水郷の早春の風物詩となっています。

見どころ

賀茂神社

天智天皇の時代にこの地に初の国営牧場が設置され、古くから馬・馬事の守護神として知られています。聖武天皇は陰陽道の祖と仰がれる吉備真備に命じて、陰陽道の技にて、日本の「気」の集まる(日本のパワースポット)地に736年に創建されました。再興時点で日本最大の馬の象がある。


老蘇の森(おいそのもり)

万葉の昔から歌に詠まれてきた「歌枕」としても名高い太古からの森。約2300年前 孝霊天皇の御世に石辺大連(いしべのおおむらじ)という人が神の助けを得て松、杉、檜などの苗木を植え祈願したところ、たちまち生い茂り大森林になったと伝えられている。後にこの石辺大連は100数拾才迄生きながられたので人呼んで「老蘇」(老が蘇る)と云い、この森を「老蘇の森」と呼ぶようになった。

奥石神社(おいそじんじゃ)
1581年織田信長が家臣柴田家久(勝家の一族)に命じて作らせたもので 国指定重要文化財。藤原氏の祖である天津児室根命(あまつこやねのみこと)を祭神として祀っている。この神社は「延喜式内社」という神社のなかでも格式の高い神社とされ、平安時代には朝廷から重要視されていた。伝説では、東夷征伐に向かった日本武尊を危機から救うために、弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が身代わりとなって上総の海で暴れる海神を鎮めるために海に身を投げた。そのとき弟橘姫命は懐妊していたが、「我胎内に子在すも尊に代わりてその難を救い奉らん。霊魂は飛去りて江州老蘇の森に留まり、永く女人平産を守るべし」と言い残したという。この話から奥石神社の神様は安産の神として有名である。。

沙沙貴神社

少彦名命を主祭神として計四座五柱の神々を祀り、「佐佐木大明神」と総称する。佐佐木源氏の氏神であり、佐々木姓発祥地に鎮座する。婆沙羅大名の佐々木道誉や乃木希典などの子々孫々が篤く崇敬していた。現在も宇多源氏・佐佐木源氏(佐々木家、六角家、京極家、朽木家、黒田家、馬淵家、堀部家、青地家、曲直瀬家、森川家、三井家など二百二十余姓)末裔の篤い信仰を集める。


観音正寺

本尊は千手観音。西国三十三所第32番札所。605に年聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるという。聖徳太子はこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより一寺を建立したという。その人魚は、前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚に生まれ変わり苦しんでいたという。寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、1993年に火災で焼失した。


長命寺

西国三十三所第三十一番札所。麓から本堂に至る800段余の長い階段で知られる。伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。



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