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「サラダパン」というサラダが入っていないパンがある。
長浜市にある1951年創業のパン屋「つるやパン」の名物パン。
1957年、初代主人の妻が塩気のある惣菜パンのアイデアを思い付いたのが始まり。当初は「サラダパン」の名の通り、マヨネーズで和えた刻みキャベツを挟んだものだった。そのため、パッケージの袋にあしらわれている黄色はマヨネーズ、緑の文字はキャベツから来たものであり、黄色はたくあんの色というのは誤りである。
その後、キャベツよりもたくあんを挟む方が食感が良く、保存も利くことから、現在のスタイルに変更された。しかし、「たくあんも野菜だから、サラダじゃないか」ということで名称は変更されず、現在に至っている。なお、サラダパンで使っているたくあんは着色料が使われていないため白い。
磨針峠(すりはりとうげ)
彦根トンネルと米原トンネルの間、左の山の中に磨針峠があります。
昔ある若者が修行半ばで自分の才能をあきらめ、帰国の途中、その磨針峠を通りかかると老人が石で斧を研いでおり、しばらく見ていたがいっこうに研ぐのをやめないので、何をしているのかと聞くと、斧を磨り減らして針にするつもりだと答えました。
若者は自分の根性の無さを恥じて、再び修学の道へ引き返したということです。
磨針峠の名はこの故事から生まれたもので、若者は弘法大師だったといわれています。
いざめ(居醒)の清水(伊吹山)
今から2000年程前、ヤマトタケルノミコトは、東征からの帰り、信濃、美濃を通って尾張でミヤズヒメに会い、草薙剣を姫に預けたまま伊吹山の荒神を退治に向かいます。
山のほとりで白い牛の様な大きな猪に出会った命は「この白い猪に化けたものはきっと山の荒神の使いものだろう。今殺さなくても帰るときに殺してやろう」とおっしゃいました。
ところが、この猪は使いの者ではなく、山の荒神自信であったため、命の言葉を聞いて、大氷雨(雨と霧)を降らせました。
さすがのミコトもフラフラで下山し、ふもとの玉倉部に湧き出でる清水のもとで休まれたところ、少し熱が引き、正気を取り戻された。
今もこの清水は「居醒の清水」といわれ、どんな水不足の時でも決して枯れないといいます。 居醒の清水は2008年6月に、「平成の名水百選」(環境省)に選ばれました。
番場の宿
長谷川伸の小説で知られる宿
彦根トンネルと米原トンネルの間、左の山の中に磨針峠があります。
長谷川伸の小説「瞼の母」で知られている番場の宿は、磨針峠に当時、山賊の住処があり、日暮れともなると道行く人々を悩ませていたところから、夜は磨針峠を越えることを禁止しました。
人々は夕暮れになると皆番場の宿に泊まったそうで、そのため段々と栄えたそうです。近くには「忠太郎」ゆかりの蓮華寺があり、本堂裏手の山中に「番場忠太郎の墓」もあります。先年芸能人の寄進で「忠太郎地蔵尊」ができました。
多賀杓子
延命長寿
お多賀さんのお土産に多賀杓子があります。この杓子でご飯を盛ると延命長寿の幸せを得ることができると古くから親しまれています。
この言い伝えは、養老の昔(717〜724)元正天皇が重い病になられた時に、病気平癒を祈って多賀大社では境内のシデの木で飯杓子を作って祈願をこめ献上したところ、その杓子で食事をされた日から快方に向かったといい、このお話が元で多賀杓子が飛ぶように売れ名物となりました。
ひこにゃん
昔、彦根藩主が江戸に滞在中、急に雷が鳴り出した。 その時、白い猫が現れて手招きするのでそちらへ行った途端に 移動前の場所に雷が落ちた。
藩主を雷から救った白い猫にちなんでひこにゃんは誕生しました。 ひこにゃんは井伊の赤備えと言われた赤いカブトをかぶっています。 ゆるキャラ。
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