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名前の由来

元々は「今浜」と呼ばれていたが、1575年頃に豊臣秀吉が織田信長の「長」をとって「長浜」と改称した。

姉川の合戦

1570年7月30日に近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で行われた合戦である。なお「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田、浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。

織田信長は、駿河の今川義元を討ち取り、斎藤龍興から美濃を奪取したのち、上洛を目的として近江に侵攻した。侵攻に先立ち、北近江を治める浅井長政には、妹であるお市の方を娶らせて織田氏との縁戚関係を結んでいた。信長は、浅井氏からも援軍を得て、共通の敵である南近江の有力大名である六角義賢父子を破り(観音寺城の戦い)、足利義昭を奉じての上洛を果たした。
その後、信長からの上洛参集要求などを拒んで対立した越前の朝倉義景に対し、元亀元年(1570年)4月には信長が越前への侵攻を開始すると、朝倉氏との縁(同盟関係、主従関係とも)も深かった長政は信長から離反し、織田軍の背後を襲った。 優位から一転、挟撃される危険に陥った信長は撤退を開始。信長の家臣たちは「金ヶ崎退き口」を経て退却した。

旧長浜駅舎

現存する日本最古の駅舎

1880年に着工、1882年3月10日の鉄道開通と同時に完成しました。1903年には現在の長浜駅の位置に新しい駅舎が完成して、旧駅舎は20年間にわたる長浜の鉄道の玄関としての、また日本の鉄道交通の要としての役割を終えました。 1958年10月、現存する最古の駅舎として「鉄道記念物」に指定されています。


見どころ

竹生島(ちくぶしま)

琵琶湖に浮かぶ無人島の1つ。古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある。

宝厳寺(ほうごんじ)

竹生島にある真言宗豊山派の寺院。本尊は弁才天。観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁才天の1つにも数えられている(他の2つは厳島神社と江島神社)。「日本最古の弁才天」。

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)

竹生島にある神社。別名竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)。延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命とされていた。浅井姫命は、浅井氏の氏神。


黒壁スクエア

日本最大のガラス芸術の展示エリアとして知られ、年間約300万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポット。町おこしの成功例として有名で、日本各地から視察が絶えない。


長浜城

秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所。 本能寺の変後、柴田勝家の甥の柴田勝豊が入城、賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間在城し、内藤信成・信正が城主になるが1615年に廃城となる。


長浜びわこ大仏

平安山良畴寺にある大仏。現在のは2代目。青銅製、像高28m。初代は昭和12年に建てられるが老朽化により、平成4年に解体されている。現在の2代目は平成6年完成。



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