近江商人

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近江商人

明治維新以前、今の滋賀県は近江と呼ばれており、この近江を本拠地として地元の特産品を中心に全国各地へ行商に出かけ活躍した商人を近江商人といいます。

大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つ。近江商人の起源は、鎌倉・南北朝時代にまでさかのぼるといわれていますが、戦国時代の終わり、近江を治めた織田信長による安土城下の「楽市楽座」をはじめとする商業基盤の整備が、のちの近江商人の繁栄に大きく貢献したといわれています。

その商才を江戸っ子から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれたが、実際の近江商人は神仏への信仰が篤く、規律道徳を重んずる者が多かった。様々な規律道徳や行動哲学が生み出され、各商家ごとに家訓として代々伝えられた。

当時世界最高水準の複式簿記の考案(中井源左衛門・日野商人)や、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度の創設(日野商人)、現在のチェーン店の考えに近い出店・枝店の積極的な開設など、近江商人の商法は徹底した合理化による流通革命だったと評価されている。

経営哲学

三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」

売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。三方良しの理念が確認できる最古の史料は、1754年に神崎郡石場寺村(現在の東近江市五個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓であるとされる。

始末してきばる

「始末」とは無駄にせず倹約することを表すが、単なるケチではなくたとえ高くつくものであっても本当に良いものであれば長く使い、長期的視点で物事を考えること。また「きばる」とは本気で取り組むこと。

利真於勤

利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、営利至上主義の諫め。

陰徳善事

人知れず善い行いをすることを言い表したもの。自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと。

高島商人

高島市の高島地域、安曇川地域、新旭地域から東北へ出かけ、近江商人の中では最も古くから活躍した商人です。先人の縁故をたよりに、岩手県盛岡を中心に大きな勢力を持つようになり、江戸時代中期には、南部領(盛岡を中心に青森、岩手、秋田の3県にまたがる地域)の商権を一手に引き受けました。

八幡商人

現在の近江八幡市を中心とした地域から生まれ、江戸初期から活躍した商人です。松前範領で活躍したグループと、江戸で活躍したグループとに分かれ、現在も東京日本橋付近に「近江屋」という屋号が多く見られるのは、日本橋で八幡商人が活躍したことを物語っています。

日野商人

蒲生氏郷の城下町日野から生まれ、江戸中期頃から本格的に北関東を拠点にして日野椀や薬を売る商人として活躍しました。出店数は群を抜いていましたが、千両もたまれば新しい店を出すといわれるくらい小型店の拡張が多く、このことから日野の千両店という名称が生まれました。

湖東商人

現在の東近江市・豊郷町を中心に生まれ、江戸後期から明治にかけて活躍しました。活躍時期は他の近江商人に遅れをとっていますが、商人の数が多いこともあり、明治時代には呉服や麻布などの繊維製品を中心に商いを進め、近代繊維産業の基盤となりました。


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