明日香村

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日本の心の故郷

中央集権律令国家の誕生の地

「日本で唯一全域が古都保存法対象地域の自治体。また、村全体の世界遺産登録に向けた計画が具体化しています。
明日香村特別措置法によって村内全域が歴史的風土保存の対象となっている。遺跡・景観保全のためやむを得ないが、この厳しい開発規制のため人口は減少している。

飛鳥京

飛鳥村は592年〜645年、655年〜667年、672年〜694年の3つの期間、日本の首都があったとされている村です。飛鳥京とは、飛鳥地方(現奈良県明日香村)に諸天皇の宮殿が置かれた都の総称を指します。

日本の首都の変遷

4〜5世紀頃 難波高津宮(なにわこうづぐう)、大阪市中央区
592年 飛鳥京(あすかきょう)、奈良県明日香村
645年 前期難波宮(なにわのみや)、大阪市中央区
655年 飛鳥京(あすかきょう)、奈良県明日香村
667年 大津宮(おおつのみや)、滋賀県大津
672年 飛鳥京(あすかきょう)、奈良県明日香村
694年 藤原京(ふじわらきょう)、奈良県橿原市
710年 平城京(へいじょうきょう)、奈良県奈良市
740年 恭仁京(くにきょう)、京都府相楽郡
744年 後期難波宮(なにわのみや)、大阪市中央区
745年 紫香楽京(しがらきのみや)、滋賀県甲賀市
745年 平城京(へいじょうきょう)、奈良県奈良市
784年 長岡京(ながおかきょう)、京都府長岡京市
794年 平安京(へいあんきょう)、京都市
1180年 福原京(ふくはらきょう)、兵庫県神戸市
1180年 平安京(へいあんきょう)、京都市
1868年 東京府(とうきょうふ)、東京
1943年 東京都(とうきょうと)、東京

見どころ

石舞台古墳

古墳時代後期の古墳。1952年に国特別史跡に指定される。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出する。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。


高松塚古墳

藤原京期(694年〜710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見され「戦後最大の考古学的な発見」と騒がれた。古墳は1973年に特別史跡に、また極彩色壁画は、1974年に国宝に指定されている。


キトラ古墳

明日香村の南西部、阿部山に築かれた古墳。亀虎古墳とも書く。墳丘にある石室内に壁画が発見され高松塚古墳と共に保存事業が進められている。天井には本格的な天文図がある。この天文図は、中国蘇州にある南宋時代(13世紀)の淳祐天文図より約500年古く、現存するものでは東アジア最古の天文図になる。


梅山古墳

欽明天皇陵(571年没?)。明日香村内では最大の古墳である。非常に多くの葺石があることでも知られている。同古墳と平田岩屋古墳、鬼の俎・雪隠古墳、野口王墓(天武・持統合葬陵)は同じ丘陵の南側の地形を利用して造られており、4つの古墳が東西に並んでいる。


飛鳥寺

蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。都が平城京へ移るとともに飛鳥寺も現在の奈良市に移転し元興寺となった。現・本堂は1825年に大坂の篤志家の援助で再建されたもので、創建当時の壮大な伽藍の面影はない。


岡寺

西国三十三所第7番札所。木心乾漆義淵僧正坐像という国宝がある。開祖 義淵僧正が民を苦しめていた悪龍をその法力を持って寺の池に封じ込めたことから、龍蓋寺(りゅうがいじ)ともいう。「厄除け」の霊場としても有名。


橘寺

正史と寺伝がもっとも違う寺と言われている。太子建立七大寺の1つ。
正史では聖徳太子の誕生地は、父・用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれのいけのへのなみつきみや)であろうと言われているが、寺伝ではこの地で生まれたことになっている。

橘の由来

聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされる橘寺です。この橘とは日本書紀によると田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求め、海を渡り十年後にある種を持ち帰りました。しかし、その時はすでに天皇は亡くなっていたそうです。しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが橘(みかんの原種)であったことから、以来この地を橘と呼ぶようになったそうです。そしてここに橘の宮という欽明天皇の別宮が建てられ、太子はここで生まれ子供頃を過ごしていたとのこと。


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