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しまなみブーム

愛媛観光ブーム

1999年の開通時に、しまなみ海道から愛媛県に観光ブームが訪れ、しまなみブームと呼ばれた。

しまなみ海道

1999年に開通した西瀬戸自動車道のことで、広島県の尾道市と愛媛県の今治市をつなぐルートである。向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島などの島を経て、全長59.4kmの高規格幹線道路。

2013年にミシュランガイド(観光地)日本編において「1つ星」に選定される。

サイクリングしまなみ

日本最大級の国際サイクリング大会

サイクリングロードとしての人気が高く、定期的にサイクリングイベントが行われている。

瀬戸内海国立公園指定80周年、瀬戸内しまなみ海道開通15周年を迎える記念の年に、愛媛県と広島県を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」を舞台に、国内外から8千名の参加者を迎える日本最大級の国際サイクリング大会が開催された。

「サイクリストの聖地」として広く世界に発信された。

サイクリングルート

海上を自転車で渡ることができる珍しい道路であることから、サイクリストや自転車愛好家には特に人気の高いルートであり、地元住民だけでなく遠方からの自転車旅行者が目立つ。また、尾道から今治までの間には、自由に相互の乗り捨てが可能なレンタサイクルのターミナルが14箇所設置されている。

大島

今治市にある面積41.89km2(国土地理院による)の島。島の北東部の宮窪地域は、中世に瀬戸内海を舞台として縦横に活躍した村上水軍(能島村上水軍)が本拠をおき、水軍遺跡や言い伝えも多数ある。

これにちなみ、宮窪港を会場に村上水軍にちなんだ水軍レースなどのイベントが毎年7月に開催され、多くの人でにぎわう。特産品には大島石等がある。

亀老山

大島の南部にある山。来島海峡を眼下に望む瀬戸内の夕日の眺望は、観光PR写真等によく用いられる。中腹には鎌倉時代後期の様式の宝篋印塔があり、村上義弘の墓と伝えられる。

伯方島

今治市にある瀬戸内海中部にある越智諸島の島。海運と造船の島として知られる。また「伯方の塩」の発祥の地としても有名である。塩の他にクルマエビも名産である。桜の名所として知られる開山(ひらきやま)などがある。

矢崎浜のえんこ(河童)石

古民謡として「矢崎浜のえんこ(河童)石」という海にちなんだ文化が息づいている。

伯方島の南岸・船折瀬戸の近くの矢崎浜あたりの海にその昔河童(エンコ)が棲みついていた。河童は砂浜で遊ぶ地元の子どもたちや通りすがりの人によくいたずらをして、人々を困らせていた。

一計を案じた村人が砂浜でこのかっぱを生け捕りにした。捕まえられた河童は村人たちに「もう二度と悪さはしません。助けてください。そのしるしに証文を渡します」と涙ながらに謝った。村人たちもやがてかわいそうになり、縄をほどいて放してやった。

河童はたいそう喜んで、沖の方に向かって大声で叫んだ。すると河童が大勢で海の中から大きい石を担いできて砂浜へ担ぎ上げ、「この石が証文だ」と告げ石を置いて海に帰っていった。その日から河童は姿を現わさなくなった。村人はこの石を「えんこ石」と呼び、大切にした。

今日、矢崎浜には「えんこ石」の石碑が建っている。

大三島

今治市にある芸予諸島の中の1つの有人島。愛媛県の最北に位置し、愛媛県の島の中では最大の島であり、国宝である。大山祇神社がある「神の島」として知られている。

しまなみ海道のこれ以降にある向島、因島、生口島は広島県の島である。
鶴姫伝説や甘崎城跡など水軍にちなむ伝説や遺跡などがある。

鶴姫伝説

戦国時代の伊予国にいたとされる伝承的女性。姓名は大祝 鶴(おおほうり つる)。

鶴姫の生涯は、大祝家の事績を綴った社伝の『大祝家記』に記されている。
それを大祝家の末裔である三島安精が小説『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』として脚色・執筆して世に出してから、「鶴姫伝説」として広まった。

1541年、1543年に合計3回も大内氏が攻めてくると、鶴姫が活躍して撃退したとされる。
しかし、3回目の出陣の際に鶴姫の右腕で恋人だった人が戦死し、戦いの後に三島明神への参籠を済ませると、沖合へ漕ぎ出し、そこで入水自殺して18歳の生涯を終えたと伝わる。

鶴姫の銅像が藤公園に設置され、鶴姫の一生を題材にした「三島水軍鶴姫まつり」が毎年大三島にて行われている。

大山祇神社所蔵の紺糸裾素懸威胴丸は、鶴姫が着用したものであると言われており、日本に現存する唯一の女性用鎧である。

甘崎城跡

大三島の東岸の沖合いにある水軍の出城跡。天智天皇の頃、唐の侵攻に備えて造られた日本最古の水軍城と伝えられる。

いも地蔵(甘藷地蔵)

江戸時代に大三島などの瀬戸内海の島々へサツマイモを広めた下見吉十郎を祀った地蔵である。島民を飢饉から救ったとして、島内の各地や近隣の島々にまつられている。

向雲寺の甘藷地蔵(いも地蔵、芋地蔵)は愛媛県指定史跡である。

吉十郎は、薩摩に行った際、サツマイモがやせた土地でも簡単に栽培できると知って、サツマイモの持ち出しを固く禁止されていた薩摩藩から命懸けで持ち出し、故郷の大三島に持ち帰った。

吉十郎は種芋を大三島へ持ち帰り、栽培に成功すると、島の農民に配って栽培法を伝授した。その後、吉十郎の栽培したサツマイモは大三島から近隣の島々に広まり、それまで飢饉に苦しんだ島民の生活は安定したものになった。
特に、瀬戸内海を中心に100万人の餓死者を出したとされる享保の大飢饉の際には、大三島の周辺では1人の餓死者も出ず、それどころか苦しむ伊予松山藩に米700俵を献上したとの記録が残っている。


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