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県名の由来

県庁所在地の高松市はもともと「香河郡(かがぐん)」に属していたことに由来する。「かが」は平坦な草地を意味する。音変化後に「香川」という字が当てられたのではなく、 樺の木か温泉の臭気から「香る川」から「香川」が当てられたと言われている。

讃岐国

古事記伝では、矛竿を貢物としていたので、竿調(さおつき)国と言われたのが縮まったものとしている。また、南北に狭い小さな半島状の国土から狭緯、または狭貫という意味から出たものと言われている。

何故うどん

少なくとも18世紀初頭に描かれた「金毘羅祭礼図屏風」にうどん屋が3軒描かれていることから、その頃には盛んであったと見られる。

一説には、香川県は弘法大師の故郷であるため、弘法大師が唐から持ち帰って来た為に、香川を中心に広がったとも言われている。

うどんが広がった背景には、香川は雨が少ないということも考えられる。雨に少ない気候は、米よりも小麦の栽培に向いており、また、雨が少ないことから塩田が盛んになったことも影響していると見られている。

いずれにしても、江戸時代後期には、金毘羅参りを対象とした旅館の一階部分がうどん屋であることが多く、明治時代には、行商人などによって爆発的にうどん屋が増えて行った。

それが、瀬戸大橋の開通により全国へのブームへと広がったと言われている。

古代

約2万年前の国分台遺跡が知られている。
そこからナイフ形石器、尖頭器、楕円形石器、舟底形石器、錐などの生活必需石器が大量に出土した。

縄文時代後期の林防城遺跡(高松市)で、当時の土器と木製諸手狭鍬が出土しているなどから、県下にも稲作が伝播し、水田耕作が行われたと推定されるが、疑問も呈されている。

中世から戦国時代

鎌倉時代には法然上人が流刑されたことが有名である。

後醍醐天皇の建武の新政が始まると、足利氏の一門である細川定禅が入った。

戦国時代には、讃岐国の分郡守護代である安富氏と香川氏が東西で大きな勢力を擁したが、安富氏が細川・三好氏の援助を受けた三木郡の十河氏によって滅びると、若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。

三好氏は三好長慶の弟である十河一存に讃岐国を任せた。

長宗我部氏が三好・織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻してこれを平定する。
豊臣秀吉が四国征伐を行うと讃岐へは宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し、長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられた。

江戸時代

水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。

途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。

近代

江戸時代の讃岐国は、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、江戸幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していた。

1871年の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。
その直後に倉敷県が丸亀県へと移され、高松県と丸亀県が合併して香川県になった。

1873年には名東県(現徳島県)に編入されるも、2年後の1875年に香川県として再設置されたが、翌1876年には愛媛県に編入された。12年後の1888年に香川県が復活して、現在に至る。


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