屋島

香川県を知る

主な市町村

特集


広告

屋島

高松市のシンボル

高松市の東北に位置する卓状の独立峰。
日本初の国立公園の1つである瀬戸内海国立公園に含まれている。

また、国の史跡及び天然記念物に指定されている。源平合戦の古戦場跡や古代の山城の遺構がある。

屋嶋城

日本書紀によれば、白村江の戦いの4年後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。

懸門(けんもん)構造の城門の存在が判明したのは国内初だった。
懸門構造とは、城門の入口に進入しにくい段差を設け、普段は梯子などで出入りして、戦闘時には撤去できる防御性能を高めた構造の門。

屋島寺

四国八十八ケ所霊場第84番札所。祭神が徳川家康と松平頼重。
観光客、四国霊場巡礼者が年中絶えることのない観光場所。日本三名狸の屋島ノ太三郎(やしまのたさぶろう)狸(屋島の禿狸)が、蓑山大明神として屋島寺の境内に祀られている。

一夫一婦の契も固く、家庭円満・縁結びの神とされている。
アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の太三郎禿狸として知られる。名物は、「いいだこのおでん・かわらけ投げ」。

屋島の戦い(やしまのたたかい)

平安時代末期の1185年に行われた戦い。治承・寿永の乱の戦いの一つ。

1183年、源義仲に敗れた平氏は安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、九州大宰府まで逃れたが、在地の武士たちが抵抗してここからも追われてしまった。
阿波国の田口成良に迎えられて、この屋島に本拠を置くことができた。

その後、一ノ谷の戦いで源義経に敗れると、平氏は一門の多くを失う大打撃を負った。
平氏は屋島に内裏を置いて本拠とし、平知盛を大将に長門国彦島にも拠点を置いた。

後白河法皇は三種の神器の返還と源平の和平を打診させる使者を平宗盛へ送るが、宗盛はこれを拒否した。

平氏を討つために出兵した義経が、熊野水軍などを率いて屋島へ攻め入ろうとしていた。

この頃、屋島は独立した島になっていた。
干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経は強襲を決意。寡兵であることを悟られないために、義経は周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけ、一気に屋島の内裏へと攻め込んだ。

海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽し、内裏を捨てて、屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。

やがて、源氏軍が意外に少数と知った平氏軍は、船を屋島・庵治半島の岸に寄せて激しい矢戦を仕掛けてきた。

夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。
外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、那須与一がこれを引き受ける。

与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。

沖の平氏は船端を叩いて感嘆し、陸の源氏は箙を叩いてどよめいた。

その後、平氏軍は志度浦から上陸を試みるが、義経は80騎を率いてこれを撃退した。
やがて、渡邊津から出航した梶原景時が率いる鎌倉方の大軍が迫り、平氏は彦島へ退いた。

屋島の陥落により、平氏は四国における拠点を失い、壇ノ浦の戦いへと進み、平氏は滅亡することになる。


PR

楽天商品ランキング

TOP