日本三景の天橋立がある町。京都府に置いて、京都市、宇治市に次いで第3位の観光地。
歴史
1600年、関ヶ原の戦いの功により京極高知に徳川家康から丹後一国が与えられ丹後藩が成立する。のちに京極高知の三子により丹後藩は三分割され、宮津藩、舞鶴藩、峰山藩の丹後三藩が成立した。宮津藩京極家は改易され、替わって本庄家が藩主となった。
安寿と厨子王丸
悲劇的な運命にもてあそばれる姉と弟
中世に成立した説経節『さんせう太夫』を原作として浄瑠璃などの演目で演じられてきたものを子供向けに改変したもの。歴史上では安寿や厨子王丸の実在を示す資料はなく、架空の伝説であると言われている。説教節では安寿は拷問によって非業の死を遂げるが、彼女を酷使し殺害した山椒大夫・山岡太夫らはいずれも丹後の国の者であったため、津軽領に丹後の人間が入ると安寿の怨霊によって災害が起こって人々を苦しめた。そこで江戸時代末期になってさえ、津軽藩では丹後の住人を忌避したと言われている。
あらすじ
奥羽五十六郡の太守であった岩城判官正氏の一族は、謀略により父が筑紫に流された。陸奥太守を訪ねる旅の途上だった安寿姫、厨子王とその母は、人買いの山岡太夫により母は佐渡に、姉弟は由良の山椒太夫に売られる。由良で二人は山椒太夫に使われ、安寿姫は浜に潮くみに、厨子王は山にしば刈りに出る日々が続く。そんな中、二人は逃亡を図り失敗、罰として焼き印を押されたはずが、厨子王が持っていた地蔵が身代わりになる。そして姉弟はついに、再会を約して逃亡を図った。姉を残して都へと行くのをためらう厨子王に、安寿姫は強く勧めて、弟が去った後、自身は山椒館の近くの沼に身を投げて亡くなった。一方、厨子王は寺僧に助けられ、摂津の天王寺に寄食するうちに梅津某の養子となり、ついに一家没落の経緯を朝廷に奏上した。結果、謀略によって罪にされた父の罪が許された上に旧国を与えられ、讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された。安寿姫の霊はその後も母と弟を守護し、岩城家再興の機運にめぐまれた厨子王は、山椒大夫、山岡太夫に復讐を果たした。さらに厨子王は、生き別れた母を探し、佐渡にたずね歩くと、片辺鹿野浦で老いた盲目の芸者が鳥を追う唄をうたっているのに巡り会った。「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」。厨子王は、この歌を聞いてこれぞ母と知り、駆け寄りすがりついた。うれし涙に、盲いた母の眼は奇(くす)しくも開き、母子は再び抱き合ったという。
見どころ
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宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州。日本三景の一つ。 |
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森鴎外の小説でも知られる山椒太夫伝説。安寿姫と厨子(ずし)王の悲しい物語のゆかりの寺。姉弟の代わりに焼き印を受けたとされる「身代わり地蔵」がある寺。 |
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1896年に建築されたもので、日本に現存する2番目に古いカトリック天主堂といわれています。現役の教会としては最古。 |
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日本の滝百選に選ばれた京都府で唯一の滝。臥龍、北向地蔵尊、白竜、金引不動尊、金引とあり、四阿も設けられている。写真の左の滝が雌滝、右が雄滝。 |
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