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府名の由来

天皇陛下の居られる場所は「京」または「京師(けいし)」と呼ばれてきた。「師」という文字は、三国志にも出てくる「司馬師」に使われている為、それを避けて「京師」でなく、「京」を使い、「京の都」で京都と言うようになった。

旧国名

令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。

京都と洛陽、長安

支那の影響

京都は、古く詩文において支那の都に因み、洛陽、長安などと呼ばれた。後に、洛陽のみが使われるようになる。ゆえに、京都に行くことを上京、上洛という。また京域内を「洛中」と呼び、京域縁辺を「洛外」と呼び、洛南・洛北・洛西・洛東といった呼称が使われている。

遺跡

鶏冠井(かいで)遺跡

京都府向日市で見つかった遺跡。縄文時代後期(約3100年前)の石器が出土している。奈良県の二上山などで取れるサヌカイト(讃岐岩)と呼ばれる石の加工したものや、加工前の物も見つかっており、当時から交易などをしていた可能性も示唆されている。

長岡京

千年の都

784年から794年まで現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区にあった日本の首都。各家に井戸があり、道路脇の流れる水を家の中に引き込み、排泄物を流す下水が引かれていた。都は清潔さを保っていたと言われている。宮殿の建築開始から半年で宮殿が完成していたなど、当時の高い建築技術が伺える。未完成で放棄されたと言われていたが、最近平城京や平安京と並ぶ京域を持つ都で、かなり完成した姿であったことが分かっている。長岡京から始まり、平安京が終わる(1869年)まで1000年以上にも及び首都が置かれていた。

平安京

794年に桓武天皇入京以降、日本の首都とみなされた都市。東西4.5km、南北5.2kmの長方形に区画された都城であった。支那の長安を倣うものであるが、城壁などはなかった。1869年に東京行幸し、大宰府が東京に移るまで京都は日本の首都だった。

明治維新

大政奉還

1867年11月9日の大政奉還により、統治権が幕府から京都の朝廷に返上されて新政府が誕生した。京都には京都府が置かれた。しかし天皇が江戸で直接政治をみるため、江戸を東京として行幸・滞在(東京行幸)することになり、太政官(政府)も移動された。これ以降から現在まで日本の首都は東京と認識されている。


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