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エピソード ポーランドと震災孤児

阪神・淡路大震災

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害である。1995年1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した。 近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。戦後に発生した地震災害としては東日本大震災に次ぐ規模である。

地震の特徴

震度7

地震による揺れは、阪神間および淡路島の一部に震度7の激震が適用されたほか、東は小名浜(福島県いわき市)、西は長崎県佐世保市、北は新潟県新潟市、南は鹿児島県鹿児島市までの広い範囲で有感(震度1以上)となった。福井地震を経緯に設立された震度7が適用された初めての事例である。

被害

死者、負傷者

死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名。死者の内、兵庫県内では99.5%の6402名が犠牲になった。

避難人数

ピーク時には316,678人の避難者が出た。

住家被害

全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟であった。

火災被害

全焼7,036棟、焼損棟数7,574棟、罹災世帯8,969世帯であった。

その他被害

道路7,245箇所、橋梁330箇所、河川774箇所、崖崩れ347箇所。

被害総額

約10兆円規模であった。

民間企業による支援活動

ダイエー

神戸市に本社を構えていたスーパーマーケット大手のダイエー以下、当時のダイエーグループ企業(ローソンなど)は、震災の一報を東京都内の自宅で知った中内功社長(当時)の指揮により、建物が半壊状態であっても兵庫県内を中心に関西圏の営業可能な状態の店をすぐに開け、在庫のある商品、空輸で届いた商品(食料品以外の毛布、懐炉なども含む)などを破格(菓子パンやおにぎり一個10円等)で提供した。

生協(生活協同組合コープこうべ)

「災害時に食料等を放出する」という契約に基づき、食料の配給を行った。

ゲーム会社

任天堂はゲームボーイを5000台とヘッドホン、トランプ3000個を、セガはリコーダー20000本を被災児童に提供した。

淡路屋(駅弁製造大手)

震災直後本社工場の損害が軽微だったため在庫の材料を使用して製造した弁当を避難所に配布し、その後各事業者の支援のもと工場設備を回復させ避難所への食料支援拠点として活躍した。

山口組(日本最大の広域指定暴力団)

神戸市内に本拠を置く日本最大の広域指定暴力団である山口組の総本部が備蓄していた大量の食料を地元住民に供出した。石油暖房機を積んだトラックを用意し毎日手際よく食事を提供するなどの援助を行っていたため、多くの被災者が集まっていた。

ボランティア活動

地震直後に現地において、被災者支援のボランティア活動に参加した人の数は1日平均2万人超、3か月間で延べ117万人とも言われる。

政府・県の対応

内閣総理大臣であった社会党の村山富市は、不完全ながらも随時上げられる情報により未曾有の大災害であることが明らかになりつつある中でも、開会が差し迫った通常国会への対応や懸案となっていた新党問題、財界首脳との食事会など予定通りの公務をこなす傍ら災害対応を行ったため、十分な対応を行わなかったのではないかという疑念を生んだ。 兵庫県からの自衛隊への災害派遣要請が、発生後4時間以上も後であった。 初動対処が遅れた原因として左翼的思想の影響も指摘された。批判で指摘されたのは、社会党の反自衛隊思想、被災地である兵庫県をはじめ京阪神地域が革新勢力の票田であること、社会党を支持している全日本自治団体労働組合の影響などである。自治体組織の緩慢な初動の背景としてもこれらは指摘されている。産経新聞は1月28日、1面コラムにて社会党が野党時代に自衛隊の廃止を誓ったことを挙げて批判した。

犯罪・問題行為

兵庫県内の強姦の事件数自体は前年と変わらず、逆に強制わいせつ事件は減少していた。また、窃盗・強盗の件数も同様に減っていた。



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